目次

1-1.はじめに (著:穂積啓一郎)

燃焼という現象は人類もその他の動物も有史以前からずっと見てきたものですが,副産物の熱と光を生活に利用することで人類の文明が生まれました.山火事や雷など自然界の火を待たずに,木をこすり合わせたり火打石で火花を散らせたりする人工発火法は偉大な発明で,好きなときに火が得られ,豊かな生活を保つため火は欠かせないものになりました.ギリシャ神話ではプロメテウスが天上から火を盗んで地上の人間に与えたことになっていますが,この話はそれほど貴重なものをわれわれが手にしたことを教えています.東洋では火は清める効果が強調され,燃やしてしまえばすべての罪や穢れが消えてしまうと考えました.ヒンズー教や仏教が古くから火葬をするのもそれなりに理にかなっています.

物体を燃やすと僅かな灰を残してほとんど消えてしまうことは長い間誤解を招きました.錬金術がまだ生きていた中世にはフロギストン(燃素)説というのがかなり長い期間定着しましたが,ここでは 「物体=灰+フロギストン」 で,物体に熱をかけるとフロギストンが抜け出し灰を残すと説明しました.物体より灰のほうが普通軽いのでここまでは説明できます.しかし抜け出したフロギストンの実体についての解明はうまく出来ませんでした.その後近代化学の発展とともに元素の発見や分子の化学が進んだ結果,燃焼によって水や二酸化炭素など目に見えない気体に変化するとして理解され,物質変化を化学反応の方程式で表したり,さらに燃焼に伴う発熱を化学エネルギーから熱エネルギーへの変換と説明するようになりました.

燃焼は熱の発生を伴う激しい変化ですが,似たようなことを穏やかに行なうこともできます.食物を食べて分解し,その栄養素を吸収して身体の運動エネルギーに使うと最後は水と二酸化炭素になりますから,結果として燃焼をゆっくりやっていることになります.どちらも酸化反応ですが,ゆっくり分解したほうが途中でいろいろな中間産物が得られ,われわれは必要に応じてそれを組織細胞に送って複雑な生体機能を発揮させています.グルコースやアミノ酸など基本的なものから,ビタミン,ホルモンなど高度の機能性物質が体内で利用されています.

このように燃焼と分解は共通面のある化学現象ですが,分析化学では目的によってうまく使い分けています.燃焼は物質を酸素と急激に化合させて,水や二酸化炭素など最終酸化物まで持ってくることを普通言いますが,原子吸光分析ではもっと高温の炎を得るため酸素の代わりに一酸化二窒素(亜酸化窒素)で燃焼させることもあります.有機元素分析ではそれぞれの構成元素が決まった最終物質になる必要があり,このため800℃から1000℃あたりの酸化条件を与えています.同時に燃焼を促進する反応触媒やその中での滞留時間などが長い間検討され,結果が現在に生かされています.一方分解は物質を構成する分子内の化学結合を切断することで,より小さい分子になりますが,一般的には溶液内で試薬と反応させて新しい化学物質に導きます.水も試薬と考えれば加水分解もこれに含まれます.ケルダール分解やアセチル基,メトキシル基の定量などわれわれに身近な定量的分解反応もありますが,水質試験の化学的酸素要求量(COD)や脂肪のけん化価の測定など,一応定量値は出ますがこれでよいのか手応えのはっきりしない反応もあります.特殊なものとして熱分解ガスクロマトグラフィや質量分析があり,ここでは試料物質を熱や電子線で直接分解し,生成したフラグメント(断片)のスペクトルを解析しますが,それぞれで独自の技術部門を形成しています.本稿ではわれわれが日常接する有機物の燃焼と分解の化学について述べたいと思います.