目次

1-1.はじめに (著:穂積啓一郎)

20世紀の始めにプレーグル (F. Pregl, 1869~1930) が微量分析法を築き上げてから,その技術は広く世界に伝わり,有機物,特に天然物化学と生化学の進歩に大きな貢献をしてきました.プレーグル自身は医学者で,胆石の研究をしていましたが,たまたま構成成分である胆汁酸の一種と思われる微量の結晶を取り出しました.当時は化学構造の決定に必要な分析試料は一回あたり数グラムであったので,研究を進めるには大量の胆石を集めるか,それとも研究を放棄するかの岐路に立たされました.プレーグルはその時,微量の試料で分析が出来る技術を開発すれば当面の問題だけでなく,同じ問題を抱える天然物,生化学物質の研究に広く活用できると考え,医学者の立場を捨てて微量分析法の研究に生涯没頭しました.プレーグルは一連の微量分析技術を纏めて一冊のテキストとして出版しましたが1),その内容を知って大勢の研究者がさらに改良を試みました.しかしこれらは皆基本的にはマニュアル分析で,部分的な進歩はありましたが,こうして20世紀の前半が推移しました.プレーグルの微量分析法はかなり複雑な操作と洗練された技を必要とするので,この特殊技術を身につけた人々は,余人の真似できない達人とされ,それなりの社会的評価を受けました.

1960年代に始まった機器分析の流れは,電子部品の進歩に支えられて急速に発展し,電気分析,光分析,クロマト分析の分野で毎年のように新しい器械が生まれました.有機元素分析の機器化もこれに刺激されて研究が進み,まずクロマト分離方式のCH分析装置が1960年発表され,数年を経ずしてCHNの同時分析装置に発展しています.測定方式もクロマトに捉われず,赤外スペクトル法や吸着法,さらには差動熱伝導度法も取り入れられて現在に至っています.どの分析機器でも共通してセンサーが搭載され,化学情報を微弱な電気信号に変え,増幅,記録するレコーダーが付属する構成が定着しました.機器の性能は当然原理的なものに支配されますが,同時に電子機器としての信頼性や安定性,高感度と低雑音,データ処理機能など従来の化学分析には無かった要素が加わりました2)

振り返ると20世紀の前半は分析法の微量化と普及で歴史的な足跡を残し,後半は分析装置の電子化でマニュアル分析からコンピュータ制御の自動分析へと大きく変貌したと言えます.さてそれでは21世紀の現在,次に何を目指すべきかについてそろそろ考えなければなりません.一例を挙げると,分析対象の化学種がC,H,Nのほかハロゲン,硫黄など限られたものになっていますが,周期律表の百何十の元素名を見ているといかにも偏っていて,もっと対象を広げるべきであると考えられます.近年へテロ元素を含む有機化合物が新しい機能を求めて多数合成されていますが,ヘテロ元素自身の定量や,ヘテロ元素を含む有機化合物のCHN分析がうまく出来るかどうかなどの立証が十分ではありません.

他には分析法のスケールアップとスケールダウンの問題があります.スケールアップについては,食品,飼料,工業材料などの品質管理に10~100gの試料を燃焼できるマクロ分析が求められています.またスケールダウンについては天然物化学,生化学部門で0.5 mg以下の試料による超微量分析の手法が要望されています.また視点を変えると,高度の機器分析が手近に利用できるようになっていますので,これらと合体して新しい分析システムを創造することも夢ではないでしょう.一足先にクロマトと質量分析が合体してGC-MSやLC-MSなどが華やかな展開を見せています.地味な行き方として,日常化学操作の中で思いがけないヒントが見つかったりすることもあり,例えば三角フラスコを使った酸素フラスコ燃焼法の貢献は実に素晴らしいものがありました.次世代を支える人々にこれからの事をお願いしたいところですが,本稿では筆者が昔試みたスケールダウン,すなわち分析法の超微量化と周辺情報を取り上げ,表舞台に出なかった技術を参考のため記述したいと思います.