目次

1-1.はじめに (著:穂積啓一郎)

気体の放電現象で得た活性粒子を化学反応に利用する新しい技術として登場したプラズマ化学は,1960年代有機物の低温灰化に始まって,半導体工業のレジスト除去とシリコンエッチングに発展し,さらにプラズマ重合による薄膜形成から医用高分子への応用まで広がりました1-3).前稿「14.酸素プラズマによる低温灰化技術」ではこの技術の生い立ちを説明しましたが,そこでは最初に立証された酸素プラズマによる分析化学的成果を幾つか取り上げて参考に供しました.酸素プラズマには酸素分子から解離した原子状酸素が含まれ,有機物と接触すると強力な酸化作用で表面から静かに燃焼を進め,最後には灰を残します.殆ど熱を発しないで進行する燃焼機構は従来の発熱を伴う燃焼とは原理的にも違うと思われますが,その説明に必要な原子状酸素の性格や挙動が改めて検討対象になりました.

考えて見れば従来の化学は常温,常圧という地球上の自然環境からさほど離れない条件で進められてきましたが,宇宙規模で捉えるとこれはたまたま人類に与えられた特殊な条件下の事象といえます.絶対零度という冷えた環境から太陽表面のように超高温の場所があると同時に,宇宙空間のような真空状態から深い地底でダイヤモンドの合成される超高圧の場まであり,全く違った環境では地球表面の常識を外れた化学反応があっても不思議ではありません.古代エジプトの歴史でラムセス朝が最も栄えた時,中東のアッシリア(現イラク地方)まで軍を進めましたが,そこで兵士達は信じられない光景を目にしました.チグリス,ユーフラテス川が北から南に向かって流れていたことです.エジプト人にとってはナイル川沿岸の世界がすべてで,悠久の昔から川は南から北に向かって流れるものと決まっていました.それは太陽が東から出て西に沈むと同じほど当たり前の事です.兵士達は遠い異国で見たこの不思議な川を「逆さ川」と呼び,故郷に帰ってからも繰り返しその驚きを人々に語り聞かせたと言います.身近な常識の世界に安住していては,本当の広い自然界の理解に欠けることがある事をこの話は教えています.

人類は石器時代に火を使う技術を獲得しました.夜は照明に,また食物の調理に欠かせぬものとなりましたが,火は燃える木から発する有機気体の酸化反応ですから,ここでは反応熱で得た気体分子の速度エネルギーが分子間の衝突を引き起こし光を発しています.ファラデーも青少年向けのクリスマス講座で "The Chemical History of a Candle"を語りましたが4),ろうそくのパラフィンが溶けて芯に這い上がり,気体となって酸素の少ない中心から次第に外側の高温部に移行して,最後は水と二酸化炭素になる気相の熱化学反応を面白く説明しています.また中世の錬金術からスタートした化学は多く液相の熱化学反応を利用しています.硫酸,硝酸,アンモニアなどの製造,タール工業から出たベンゼンやアニリンを原料とする染料や医薬品の開発,それらの技術を支える蒸留,沈殿,加水分解,発酵などいろいろの化学操作を駆使して有用な物質を作り出してきました.液相中の反応では気体反応と違って与えられた温度でのブラウン運動で起こる分子間衝突エネルギーで進行します.

有機化学者はかなり昔から分子構造の解明に二重結合の酸化的切断という方法を利用してきました.切断で低分子化したものの構造を決め,あとでジグソーパズルのように分子の全体像を組み立て直します.この切断にはオゾンを使うと二重結合に選択的に働くので,有機化学研究室にはオゾン発生装置が普及していました.現在は質量スペクトルや核磁気スペクトルの解析で分子構造を組み立てるので,オゾン発生装置は研究室で無用化し,すっかり姿を消してしまいましたが,実はオゾンの生成は熱化学反応によらず,高電圧で加速された電子が酸素分子に衝撃を与えることで進行します.ただし常圧気体の放電ですから電子を加速してもすぐ分子に衝突してしまい,それほど電子の速度エネルギーは大きくなりません.それでもオゾン発生装置は常圧で作れるので,現在でも室内空気の殺菌,消臭によく使われ,また上水道に注入して高度浄化に活用されています.

1962年C.E.Gleit5)が低圧酸素を高周波で励起してプラズマ化し,その中の原子状酸素で有機物を熱を加えずに燃焼できることを発見したことは前稿(17.酸素プラズマによる低温灰化技術)で説明しましたが,この装置の発想が常圧の酸素に高電圧放電を加えるオゾン発生装置にルーツを持つのかどうかはよく分かりません. Gleit博士の最初の論文にも,またその同僚であった Hollahan博士の解説記事にもどこからヒントを得たのか全く記載がありません.Gleit博士は随分昔に会社から引退され,またHollahan博士はまだ働き盛りで突然亡くなられたため,そのあたり確かめる手段を失っています.しかしオゾン装置が化学者の手にあって保守的に温存されたことも原因で,似た面のある低圧酸素を用いるプラズマの利用に思い当たる機会を得なかったのも無理ありません.ともあれ1960年代に低圧気体の放電によるプラズマ技術が見つかったことは,その後の有機物低温灰化,固体材料の表面処理,集積回路の製造プロセス,逆浸透膜やイオン選択ろ過膜,その他医用高分子材料への応用などへの急速な発展に決定的な要因となりました.古典的な熱化学反応とは一味違うプラズマ化学反応は完熟期に入ったとはまだ言えませんが,それなりの成果を現しています.それぞれの項目を詳しく説明するにはスペースを要しますので機会を改めるとして,本稿ではプラズマ化学反応の基本と応用領域を概説します.