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微量分析の生い立ち

はじめに (著:穂積啓一郎)

化学の歴史を訪ねると古代のエジプトやアラビアまで遡ることができますが,ガラスや冶金,医薬品や酒造りなど経験を生かした生産技術が長い時間をかけて磨きあげられました.しかしそこで扱う物の本質が何であるかが分かるまでには複雑な曲折がありました.一体と見える自然界で,ギリシャ哲学が直観的に火,水,土,空気の四元素から成るとしたのは考え方として正しかったと言えます.古代中国でも独自に火,水,木,金,土の五元素説を出していますが,わが国の週日の呼び名はこれから来ています.

原料を加工すると違うものが出来ることから,銅や鉛を金に変えようとする錬金術が繰り返し試みられ,失敗ばかりでしたが,それによって化学操作の道具や方法は随分進歩しました.フラスコ,ビーカー,るつぼ,レトルト,ろ過器などはその頃の産物です.

1800年代に入って近代的な元素の考えが導入され,同時に無機化学と有機化学の分類ができました.当時は生物の作るものを有機物としていましたが,1828年にウェーラー ( F.Woehler,1800~1882 ) が無機物を原料として尿素を合成することに成功し,以来多数の有機化合物が人工的に作られるようになりました.有機物がどういう元素構成で出来ているか,また合成した有機物が予想した元素構成になっているかという問題で,元素組成の定量は有機化学で最も重要な測定技術になりました.

有機物を燃焼すると二酸化炭素と水を生成することは大分前から知られていましたから,リービッヒ ( J.Liebig,1803~1873 ) は1831年炭素と水素の定量装置を作り,今日の有機元素分析の草分けとなりました .これが端緒となって窒素,ハロゲン,硫黄などの領域にも広がりましたが,当時分析試料は数グラム必要で,また分析には長時間かかりました.効率的な分析法を求めて試料量の減少が図られ,間もなく今日の微量分析法が実現しました.現在は装置も電子化され,初期には考えられなかったほど便利で高速になっています.振り返って見て分析法の微量化にどのような経過と苦労があったのか,簡単に記述したいと思います.

微量分析の生い立ち・微量化学の端緒 (著:穂積啓一郎)

化学用顕微鏡は結晶性物質の光学的性質を見分けるのに便利ですが,1800年代の初めラスペイル ( F.Raspail,1794~1878 ) は植物組織に多く見られるシュウ酸カルシウム結晶の分布,結晶形,光学軸などから,植物の分類や同定を試みました.これをさらに発展させたのはオランダのべーレンス ( T.Behrens,1843~1905 ) で,1894年著書に”Anteilung zur mikrochemischen Analyse”があり 1),多分微量化学分析という言葉を最初に使った例ではないかと言われています.ここでは微量物質の取り扱い方法などが書かれていて,微量で行えば貴重な試料が扱える,時間が短縮できる,装置が小型でよい,など現代の微量分析法が主張していることと一致します.

この著書はオーストリアのエミッヒ (F.Emich, 1860~1940) に大きな関心を呼び覚まし,それまでの化学操作法を微量化して効率のよい実験の方法に作り変えようとしました.彼の興味は特定の物質を目指したものではなく,広く微量物の扱い方を体系化するのが目的であったと思われます.沈殿,再結晶,抽出,蒸留などを小さなガラス器や毛細管の中で行えるよう巧妙な工夫が記録されています.

1889年エミッヒはグラーツ工科大学の教授となり,分析化学を教えましたが,1909年に出した論文の中で「微量化学とは,できるだけ小量の物質で実験を行うすべての化学操作に応用される方法である.この故に微量化学技術は将来化学分析の主体的な地位を占めるに到るであろう.」と書いています.この自信に満ちた宣言は間もなく現実のものとなりました.1911年エミッヒは “Lehrbuch der Mikrochemie” の著書を出版し 2),広く世界の化学者に読まれ,実験室に取り入れられました.

微量分析の生い立ち・プレーグルの微量分析 (著:穂積啓一郎)

オーストリアのグラーツは小さい地方都市ですが,南部国境に近く,すぐ旧ユーゴスラビアやイタリアに接しています.アルプスの谷を抜ける交通の要衝ですから,文化的には開けた土地柄です.ユーゴスラビア出身のプレーグル ( F.Pregl,1869~1930 ) は医学を目指してグラーツ大学に学び,卒業後生化学の研究を始めました.ここでは蛋白質や胆汁酸の分析の必要が多くあったようです.1913年グラーツ大学医学部の教授となり,医化学研究所の所長を勤めました.

研究テーマに胆石の加水分解物の化学構造を決めるというのがあって,このための試料をどうして確保するかが問題となりました.当時は一回の元素分析に数グラムの試料を燃焼させたので,これを充たすには余りにも手に入る試料量が足りません.必要な量の試料を集めるには何年も実験を繰り返すしか方法がありませんでした.

研究を放棄するしかないという局面まで来ましたが,プレーグルはこのようなことは他にも起こるはずと考え,むしろ今ある試料量で分析できる方法はないものかと立ち止まりました.幸運なことに同じグラーツの町にエミッヒがすでに微量化学を進め着々と成果を挙げていました.プレーグルは度々エミッヒの研究室を訪れ,有機元素分析の微量化のヒントをうけたようです.以来彼は本職の医学研究を止めてしまい,生涯を微量分析法の研究に打ち込みました.

最初の仕事は数ミリグラムの試料を精密に計量できるはかりを手に入れることでした.エミッヒはすでにハンブルグのクールマンからセミマイクロ級のはかりを手に入れていましたが,もう一段精密なものを求めてクールマンに微量はかりを依頼しました.製作には随分な苦労があったと思いますが,遂に要求に合うクールマン微量はかりを完成させました.

このはかりは読み取り精度が1μg(現在の標準偏差で2~3μg),その上荷重が20gに耐え,ガラスの吸収管が載せられるという当時としては画期的な機械でした.おかげで水と二酸化炭素吸収管を燃焼管につなぐという重量法の炭素水素定量装置が実現しました.もちろんこの装置が実用になるまでには苦しい試行錯誤があったようです.

燃焼管の加熱にはガス炉が使われましたが,700~800℃がせいぜいで,試料の完全酸化が困難なものもあり,燃焼時のキャリヤーガスの流量制御も手加減が必要で,熟練するには骨が折れました.炭素水素分析についで窒素,ハロゲン,硫黄,リン,さらに原子団や分子量測定まで一連の微量化が進められました.

医化学研究所の中に微量分析の研修コースが開かれ,世界中から受講生が講習を受けました.わが国からもヨーロッパ滞在中の留学生が何名かこの講習を受け,その技術を持ち帰りました.1917年これら微量分析技術をまとめた著書 “Die quantitative organische Mikroanalyse” が出版され 3),たちまち全世界に普及しました.さらに1923年にはプレーグルの微量分析法が有機化学の進歩に大きく貢献したとしてノーベル化学賞が贈られました.

微量分析の生い立ち・アメリカでの近代化 (著:穂積啓一郎)

微量分析技術はヨーロッパでスタートを切りましたが,これはすぐアメリカにも伝わり,ここでは原理よりも装置の近代化に重点がおかれました.電気炉や温度調節,キャリヤーガスの制御,機械動作の自動化など工業国らしい改良が進められました.しかし中にはそれまでの水準を抜く技術も開発しています.

1939年ドイツで考えられた酸素分析は,試料分解ガスを1110℃の炭素粒に接触させ,一酸化炭素に変換しますが,この温度では石英燃焼管のシリカと炭素が反応して一酸化炭素を生成し,不安定な空試験値が多くでます.1954年に在米二世のオーイタ (J.Oita) が白金炭素粒を考え出し,これによって800~900℃で操作できるようになりました.温度が引き下げられたことで空試験値も小さくなりました.

カリフォルニア大学のカーク ( P.Kirk ) 教授は1930年頃より超微量分析という新しい壁の突破を試みました.特殊なマイクロメータと組み合わせたビュレットでμl 単位まで読む精密滴定を実現しましたが,もっと目立った業績は超微量石英トーションはかりの製作です.石英トーションの利点はすでに知られていましたが,精密なものは荷重も小さい欠点がありました.

細い石英棒で組み立てたさおを,直角の方向に数μmの直径の石英糸で水平に張り,さおの傾きを石英糸のねじりで復元するもので,荷重が500mg,測定精度が0.05μgという驚異的なものでした.最近電子はかりが精密化して,超微量電子はかりと称するものもありますが,まだ石英トーションはかりを追い越すものはありません.

1961年米国ロシュ社のAl Steyermarkは著書 “Quantitative Organic Microanalysis”を出版しましたが 4),親しみやすい英語で戦後のわが国の実質的な出発点となりました.原子団分析の集大成としては1964年,ニューヨーク市立大学のケロニス (N.Cheronis) とマ (T.S.Ma) の共著による “Organic Functional Group Analysis” があり 5),類書が無いところから現在も貴重な存在となっています.

微量分析の生い立ち・おわりに (著:穂積啓一郎)

1900年代は後半に入って方法が一変しました.電子部品が分析装置の大きな部分を占めるようになり,その便利さの方に関心が集まるようになりました.しかし電子部品は分析化学反応をモニターしているだけのものですから,本質的な定量分析のプロセスから見れば脇役になります.その点1900年代前半まではまさに定量分析化学の牙城に迫っていたと言えます.今また昔に戻る必要はないかも知れませんが,かって微量分析を作り,育てた歴史は大切に心にとめて,これからの未知の世界に挑戦する意欲を持ちたいものです.

参考文献

  1. T.Behrens: “Anteilung zur mikrochemischen Analyse”, Hamburg, (1894).
  2. F.Emich: “Lehrbuch der Mikrochemie”, Bergmann, Muenchen, (1911).
  3. F.Pregl: “Die quantitative organische Mikroanalyse”, Springer, Wien, (1917).
  4. Al Steyermark: “Quantitative Organic Microanalysis”, Academic Press, New York, (1961).
  5. N.Cheronis, T. S. Ma: “Organic Functional Group Analysis”, Interscience, New York, (1964).